2014年6月18日水曜日

トークショーを振り返って―私が伝えたかったこと

今年の山梨Idahoは初めての取り組みであったにも関わらず、新聞で三度も取り上げて頂けました。
当日の様子が山梨日日新聞に5/23付けで掲載されました。長時間に渡って会場に居て取材してくださり、紙面を割いてくださったことに大変感謝しております。その記事について、誤解を招きそうな箇所があったので、イベントのスタッフ側からの説明をここに掲載させていただきます。
新聞記事では、「"女性"として産まれ違和感を持ちつつ暮らす人」がトークショーで話したかのように書かれています。しかし、実際は、「マジョリティの女性」も話しました。
また、「もう一人の女性」が意見を述べたと書かれていますが、このスタッフは語り手ではなく、あくまでトークをお客様にわかりやすく提示する役目を果たしていました。また、"女性"であるとは自称していません。
私たちが最終的に伝えたかったメッセージは、「"男らしさ"や"女らしさ"にとらわれることなく、自分の好きな物事に正直に生きられる社会であってほしい」という事です。
今回、マジョリティである私がトークゲストになった理由ーそれは、すべての人にとって性の問題が身近であることを伝えたかったからです。同性に惹かれる、自分の性に違和感を覚える・・そんな経験は、恐らく誰しもが多かれ少なかれ経験があるのではないでしょうか。それを語ることが、マイノリティであることに安易につながるのではなく、マイノリティを身近に感じるきっかけにしてほしいと、私は考えています。
しかし、私の知る限り、少なくとも日本国内では、このようにして、マジョリティが自身の経験を話す事でそれを伝えるという機会は非常に稀有な事です。なぜならば、「マジョリティ=産まれた時からずっと苦労なく社会生活を営んでいる人=ヘテロセクシュアル」という認識がなぜか存在するからです。しかし、そんなことはないと、私は伝えたかったのです。苦労した時期があっていい、セクシュアリティが揺らいでもいい、それでマジョリティを名乗ってもいい、と。
マジョリティとは、元々は"数の多い方"を指す言葉に過ぎず、むしろ"立場の弱い方"を意味する言葉でした。産まれた性をその時は難なく受け入れ、異性に恋するーそれがセクシュアル・マジョリティの定義であるならば、それは数が多いだけに過ぎません。この社会で私たちがすでに一緒に生きている人たちの中には、"立場の強い"マイノリティも居れば、"立場の弱い"マジョリティも居るーそれは、セクシュアリティに限らず、多くの「違い」に共通する事実です。大切なパートナーと幸せを感じながら暮らす同性カップルと、例えば世間体に縛られて別れられない法律上だけのカップル、どちらが"立場が強い"のでしょうか。
これからも、形を変え、よりわかりやすいように工夫しながら、私は私の立場から見たこの事実を伝えていくつもりです。マイノリティとマジョリティ、立場の強弱を理解しあえる世界ー「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はありえないー宮沢賢治」のですから。

やすよ(岩手生まれ東京育ち、特典づくり・逆さ富士風メッセージ展示担当)